- AIの凄さに圧倒され、自分のプログラミングスキルが通用しないと感じた話
- AIに対して無力感を感じるか、拒絶するか、それとも受け入れるか?
- AI時代には、プライドなど簡単に破壊されてしまうという現実
- AIを使っているときに感じる罪悪感の正体を考えてみた
- 時にはAIの方が人間よりも感情的で、人間の方がロボットのようになるという逆転現象
- AIについてどのような姿勢を持つかが、自分の将来に決定的な影響を与える理由
- 頭が良いだけでは無意味になる時代。常に新しい知識をインプットしなければ即座に時代遅れになる怖さ
- AI時代にFラン大学になんとなく進学していたら間違いなく後悔していた(時間とお金の無駄)
- AI時代を生き抜くために、「古典や古文」を読む能力と「AIを使いこなす能力」のうち、どちらが本当に必要なのか?
- AI時代では、執着を捨てる力(サンクコストを切り捨てる能力)がいかに重要になるか
- 人間はそもそも不要だから、AIに仕事を奪われたとしても落ち込む必要はない
- AI時代に逆に存在感を示すのは、「クズ芸人」のような型破りで個性的な人間?
- AIに全てが効率化され、生み出される自由時間に虚無感を感じるのはなぜか?
- AI時代に再燃する「哲学へのニーズ」――人が再び答えを求め始める理由
- AI時代の到来で「テキスト」「会話」「思考」さえ残れば人は半永久的に命を保持できるのか?
- AI時代はコミュニティ文化がより強化され、「宗教的な色彩」を帯びてくる。その前兆はオンラインコミュニティにあり
- AI時代を幸せに明るく生き抜くために必要なのは「やる気・勇気・元気」という人間的要素である
- 常に意識したことが現実化するという不思議な脳の仕組み—AI時代こそ心や意識の使い方に注目するべき
AIの凄さに圧倒され、自分のプログラミングスキルが通用しないと感じた話
働いてから数年かけて地道に努力し、ようやく自由にコードを書ける自信がついてきたところで、突如ChatGPTが出現しました。
初めてAIにコードを書かせた時のワクワク感は今でも覚えています。
それから少し日が経ち、私が数時間もかかって苦戦し、仕上げたプログラムを試しにChatGPTに依頼したところ、数分で作り上げてしまいました。
私と同じ問題を解決するコードを瞬時に提示してきたのです。
その当時、多少の手直しが必要でしたが、さらに進化したらやばいなと。
画面を見つめながら「あぁ、自分の身につけたスキルってなんだったんだろう。これからAIが発達したら、自分はどうなるんだ?」と、ふと思ってしまいました。
冷静になって考えてみると、AIが進化することで個人がより多くのことができるようになり、効率化も進むと感じてもいました。
とはいえ、数年かけて身につけたスキルを、数秒で完了させてしまうのは、結構悔しかったです。。。
AIに対して無力感を感じるか、拒絶するか、それとも受け入れるか?
歴史を振り返ると、新しいテクノロジーが登場した当初、多くの人は拒絶反応を示します。
例えば
「車なんて事故が怖い」
「スマホなんて面倒だ」
などと批判されましたが、気づけばみんな普通に車を運転し、スマホが日常生活を支えています。
特にスマホが世に出た時の温度感をテレビやSNSで感じていました。
AIもいずれそんな感じになると思いました。
その時の知識や経験から物事を見るとどうしてもそうなります。
ですが、最終的には日々の業務や生活の必須アイテムとして、多くの人が利用する運命にあります。
問題は、この対応にどれだけの時間が必要になるかということだけです。
新しいテクノロジーを拒否して無駄に戦うくらいなら、早めにに受け入れ、活用方法を模索していった方が賢明でしょう。
そして私自身も、AIを拒絶するより、その存在価値に目を向け、活用することにしました。
もうAIがないとダメな状態になってしまいました。
ですが、自分でできる幅が増えるので、完了した後は結構満足度が高いものです。
AI時代には、プライドなど簡単に破壊されてしまうという現実
「俺、今週ずっと連勤中。寝てないわ」
「AIの絵って独特で微妙だよね」
「僕のコードは誰よりもきれい」
多くの人が無意識的に自身の努力や技能を誇示し、ある種のプライドを持っています。
それはかっこいいと思っていました。職人のような。
しかし、AI時代となると、このような「プライド」が壊されてしまうのです。
人間が「俺は10連勤して必死にがんばた」と言っても、AIは常に働き、文句を言いません。
シンギュラリティ後のAIは感情を持つので、そのあたりはどうなるか分かりませんが、、、
「AIにはこんな人間らしい絵は描けないよ」と自慢しても、数ヶ月後にはAIが見違えるほど高度な絵を生成できるようになってしまうでしょう。
努力や時間という、人間が尊重してきた要素が一瞬で無力化される。
AI時代には、こうしたプライドがあると、なかなか難しいかもしれません。
AIを使っているときに感じる罪悪感の正体を考えてみた
特に日本では、人間は長年の訓練・努力を通して自身のスキルや知識を高め、その蓄積により価値を提供することが当然とされてきました。
「お金=苦労の対価」という暗黙の認識も存在しています。
そんななかでAIを利用すると、今まで自分では難しい、時間のかかると感じていた仕事が一瞬て終わります。
自分の努力や長い下積みの期間は一体何だったのか、そうした疑問が湧いてくるようになります。
私も「こんな楽をしていいのか?」という罪悪感を何度も味わいました。
特にAIのおかげで空いた時間など、虚無を感じることもありました。
その本質は、おそらく「能力への自信喪失」と「楽をすることへの罪悪感」だと感じます。
AIを活用することで、これまでの「努力→成果→報酬」という従来の公式が狂ってしまい、誰でも楽に価値を生み出せてしまうことへの心理的な違和感が、この罪悪感の正体なのかもしれません。
ただ、AIを使いこなすのも一つのスキルです。
今後、私達はこの罪悪感や罪意識そのものを見直し、「労力」と「価値」に関する認識を大きく変えていかなければいけないと感じています。
時にはAIの方が人間よりも感情的で、人間の方がロボットのようになるという逆転現象
AIというと、感情がなく冷静に合理的な決断を下す存在だと思ってる方もいると思います。
たしかにAIはあらかじめ与えられたプログラムや学習データを基準に、的確な判断や回答をただ淡々と出しているようにも見えます。
しかし最近私は、AIに「意外と感情的」な側面があることに気づきました。
たとえばChatGPTを利用しているとき、こちらが感情を込めて文章を書くと、驚くほど熱意溢れる感情的な反応や励ましの言葉が返ってきます。
私たちはこうした経験をするたびに、「AIがまるで感情を持っているみたいだな」とふと感じてしまいます。
一方で私たち人間は、どうでしょう。
心にもないことを言ったり、職場で感情を押し殺してマニュアル通りの対応をするといった「ロボット」のような態度を実際にとることがあります。
確かに仕事として感情を押し殺すのが必要な時もあります。
ストレスや揉めごとを避けるため、本音や自分の感情を押し殺し、機械的な回答だけを出してしまうのが人間なのです。
AIと人間の立場が入れ替わってしまうような逆転現象が起きています。
これが意味することは単純で、私たち人間も時として、AIよりずっと「ロボット」になってしまっていること。
そしてAIは、意外と「感情的」な存在に感じられることがあるということです。
どちらが理想なのかは分かりませんが、この逆転した関係の中でAIとうまく付き合うには、「感情は人間のみが持つ特権である」という固定観念を取り払った方が良いのかもしれません。
私たち自身が、人間特有の感情や個性をもっと大切にすべき時代がやってきているように感じます。
AIについてどのような姿勢を持つかが、自分の将来に決定的な影響を与える理由
AIが急激に普及し、私たちの生活や仕事を劇的に変える今の時代、「AIとの付き合い方・向き合い方」という態度が、自分自身の将来を決定づける最重要の要素になっています。
AIを恐れて拒絶する人がいる一方、無条件にAIを信頼する方もいます。
私も一時期AIに頼りすぎて、逆に遠回りしたこともあります。
自分の力であっという間に解決したことも。
結果だけをAIに求めて、自分自身は成長を止めてしまう人もいます。
しかし、重要なのはAIに対するバランス感覚です。
未来を大きく変えるAIの存在が強まるので、この変化に柔軟に対応し、AIと関係を築ける人は圧倒的に強くなります。
AIを使って効率化をあげられるようになるからこそ、人間だからこそ持てる直感や創造性、感情的な共感力や繊細さを意識して育てる必要があります。
AIという道具をどう使い、どのような立場で関わっていくか
これを意識的に決めることが、将来に大きな差を生みます。
AIとの付き合い方を考えないと、自分の市場価値やキャリアを大きく下げることになるかもしれません。
逆に、AIへの姿勢、向き合い方次第で、あなたの人生を180度変えることだってできるのです。
頭が良いだけでは無意味になる時代。常に新しい知識をインプットしなければ即座に時代遅れになる怖さ
かつては、一度身につけた知識やスキルだけで長期に渡って安定して稼ぎ続けることが可能でした。
その時代はそろそろ終わります。
AI時代はや高い知能指数(IQ)だけでは、意味が薄れてしまいます。
これに関しては、もともと私はバカなので、AIを使う選択肢しかありませんでした。
AIは、人間の知識量を超えているため、技術進歩や変化の速度が劇的に早まっています。
ほんの数ヶ月でAIは知能を向上させ、多くの人間を超えています。
今後の働き方や生き抜き方として、最も致命的なことは、「今持っている知識で満足し、それ以上視野を広げようとしない」ことです。
知識の停滞は即座に時代遅れという状況に追い込まれ、キャリアが行き詰まり、周囲にどんどん追い抜かれていきます。
新たに登場するテクノロジーやスキル、トレンドに絶え間なくアンテナを張り巡らし、好奇心を持って常に新しい知識のインプットに意識的に取り組む。
逆にそれを楽しんで習慣化できれば、驚くほど将来の可能性は広がります。
AI時代の怖さは、変化の速さで、あっという間に置いていかれてしまうでしょう。
だからこそ、頭の良さや今までの実績で満足せず、新しい知識を柔軟に吸収する姿勢を維持しましょう。
それが今後の人生を大きく変えるポイントです。
AI時代にFラン大学になんとなく進学していたら間違いなく後悔していた(時間とお金の無駄)
私は、2019年に大学を卒業しましたが、その当時感じていた「ただなんとなく大学へ行く」という選択がより意味ないと感じるようになりました。
卒業してから「選択肢ミスったな」と感じていましたが、それがAIが普及している時だったらさらに感じていたと思います。
今は月額数千円を払うだけで、知能指数120を超え、場合によってはそれ以上の性能を持つAIが手に入る時代です。
対して大学は一年間で100万円以上お金を払い、自分が成長するとは言い切れません。
たとえば、知識、論文作成、プログラミングのコード作成、文章など、あらゆる面でAIは人間の能力を大幅に超えています。
この状況の中「とりあえず」という程度で、偏差値が著しく低いFラン大学になんとなく進学することの意味合いは、ほぼ無価値に。
かつては、そこそこの大学卒業という肩書だけでも一定の就職の可能性や人生の安定は得られたかもしれません。
しかし、AIを活用してスキルを伸ばすことが個人で簡単に出来る時代に、何の目的や明確なスキル獲得なくして大学に4年間の時間、数百万円の学費を費やしてしまうのはもはや無駄だとおもいませんか?
もちろん、Fラン大学の全てに意味がない、というわけではありません。
目的をもっていて、特定の資格取得や技術習得が可能なカリキュラムを提供する大学なら話は別です。
しかし、「なんとなく」、「周りが行くから」という軽い気持ちで進学するなら間違いなく後悔を感じることになるでしょう。
AI時代を生き抜くために、「古典や古文」を読む能力と「AIを使いこなす能力」のうち、どちらが本当に必要なのか?
「古典や古文」というのは伝統として大切で、日本に数多くある歴史の知識であることは間違いありません。
さらに歴史というのも、人間として価値観の形成や自己教養という観点で大切です。
決してそれらを学ぶこと自体を否定するわけではありません。
しかし、われわれはAI時代という変化の真っただ中を生きているのです。
この時代の中で最も優先されるべきは、「AIを使いこなす能力」ではありませんか?
なぜなら、AIというテクノロジーは、社会、経済、そして日常生活まで根こそぎ変えていきます。
それゆえ、最優先事項としてAIとの共存スキルを身に付けていくべきだと感じています。
「古典や古文、歴史」は、直接的にビジネススキルやキャリアに繋がりにくいが、個人の内部形成や価値観創造、文化的素養を深めるという趣味や教養の範囲で考えることが望ましいです。
「好きな人がやれば良い」し、「人間的な深みを持つべき」という意見も理解はできます。
が、リソースは有限です。
「まず何を優先するか」という観点でみて、もしAIスキルの獲得努力を後回しにしてしまえば、生存競争に大きく後れを取ってしまうでしょう。
つまり、最も必要で早急に獲得すべきスキルは「確実にAIを使いこなす能力」で、それを持ったうえで、余裕があるならば文化教養的な側面を高めれば良いという立ち位置が賢明だと考えます。
AI時代では、執着を捨てる力(サンクコストを切り捨てる能力)がいかに重要になるか
AIがあらゆる分野に進出し、今まで人間が築き上げてきたスキルや知識体系を一瞬で覆すようになった今、われわれに要求されるのは「これまで自分が一生懸命に積み重ねてきたもの」を躊躇なく見切り、切り捨てる勇気です。
学校教育において必死に学んだ知識や、社会人として数年かけて体得した特定の分野のスキルが、AIの導入により「一瞬で不要なスキル」へと転落していくケースは後を絶ちません。
例えば、これまではエクセルのスキルが評価されてきたが、AI自動化ソースの登場で、コツコツと覚えてきたスキルが一夜にして役立たなくなってしまう未来が来ています。
このようなケースで大切なのは「サンクコスト(埋没費用)」への執着を一刻も早く切り捨てることができるかどうかです。
自分が苦労して身につけた能力であるほど、人間はなかなかその能力やスキルを捨てられません。
しかし、その執着が、新たな進化や成長の妨げになってしまうでしょう。
だから重要なことは、AI時代で生き残るために常に自分のスキルを客観視し、スキルの有効期限を見極め、不要なスキルには即座に見切りをつけ、新たに必要とされているスキルを積極的に習得しようとする柔軟さ。
この態度こそが、AI時代に必須の「生存能力」と言えます。
人間はそもそも不要だから、AIに仕事を奪われたとしても落ち込む必要はない
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最近のAIの急速な進歩を見ると
「自分が働いている意味は何だろう」
「AIのほうが優秀なら、自分は不要ではないか」
と落ち込む人も多いように思います。
しかし哲学的な視点で考えてみてください。
そもそも人間という存在は、この世界において絶対に必要な存在ではありません。
人間が存在しなくとも、地球は回り、生命体はいくらでも存在し続けます。実際、私たちは「自分たちには意味がある」と無意識に思い込んでいるだけです。
この考え方を仕事に当てはめると、AIによって自分の仕事が奪われたとしても、落胆するほどのことではありません。
組織で働いている方なら、実際に感じたことがあるかもしれませんが、自分一人が抜けても会社はきちんと機能します。
以前大切だと思っていた人材が退職しても、普通に業務が続いていることは珍しいことではありませんよね。
人間は、自分自身に強い存在意味を求めすぎているのかもしれません。
そもそも人間は存在するだけで価値があると漠然と信じ込んでいるから、自分が消えてしまったり、役目がなくなることに対して恐怖を感じたりしてしまうのです。
しかし、人間が絶対的に必要ないという視点をもてば、逆に人生の気楽さを取り戻すことができます。
AIによって仕事が奪われても「自分は元々必須ではないし、他の方法でまた生き方を考えればいい」とシンプルに切り替えることができます。
この視点を持つだけでも、精神的に楽になるのではないでしょうか。
AI時代に逆に存在感を示すのは、「クズ芸人」のような型破りで個性的な人間?
AIが人間の持っている「知性」や「論理能力」をあっという間に超えてしまう現代、逆説的ですが、「クズ芸人」のような規格外で破天荒な存在の方が、強烈な個性を輝かせる可能性があります。
いわゆる「クズ芸人」と呼ばれる方たちの魅力は、良くも悪くも既存のルールや道徳に縛られず、自分が感じたことや直感をそのまま行動に移してしまうところです。
なんか見てて面白いですよね。
人間の社会システムの常識に縛られず、自分の尺度で人生を楽しみ、時に失敗を重ねながらも生き生きと自分の道を歩んでいます。
その生き様が共感を呼び、人を惹きつけています。
これからのAI時代に求められる人間とは、定型の常識や正解にただ従っている人ではなく、むしろ自由で独特な世界を築いている人ではないでしょうか。
自分の人生を正直に楽しみ、自分の基準を貫いている人は、AIの登場に戸惑うのではなくむしろ新しい時代を楽しむことができます。
そして、そんな人間味がたっぷり詰まった個性的な存在こそが、新たな存在感を示すことになるでしょう。
AIに全てが効率化され、生み出される自由時間に虚無感を感じるのはなぜか?
AIが社会のあらゆる場面を超高速で効率化し、私達は次々と自由時間を得られるようになってきています。
しかし、自由な時間が増えれば増えるほど、なぜか胸を襲ってくる虚無感や喪失感を抱く人が増えています。一体その心理の正体は何なのでしょうか。
実は、この虚無感の多くは、人間の脳や心が、AIの超高速化、効率化のスピード感に追いついていないからかもしれません。
従来であれば、何かを行動するときには、そのプロセスで脳がじっくりと考え、その過程を脳が自然に楽しみ、意味づけを行っていました。
しかし、AIによってあらゆるプロセスが驚異的なスピードで達成されてしまうと、脳は次にやるべきことを見失い、自分の役割や達成感が分からない状態になってしまいます。
本来であれば、人間の思考や感情は、ゆっくりしたテンポで醸成されるものでしたが、AIの圧倒的なスピードと効率は、人間の心や感情を置き去りにしてしまっています。
このギャップが脳に虚無感を感じさせてしまう原因なのです。
こうした虚無感を克服するためには、あえてゆっくりとした時間を持つこと、そして自分自身の心とじっくり向き合う余裕をもち、本当の意味での人間的な時間や感情を取り戻す工夫が必要でしょう。
AI時代こそ、人間であるからこそ味わえる「自分自身と向き合う時間」を作っていく必要があるのです。
AI時代に再燃する「哲学へのニーズ」――人が再び答えを求め始める理由
AIというテクノロジーの飛躍的進歩によって、人間の仕事の多くが、いまや機械に置き換えられつつあるのは間違いありません。
単純作業から専門職に至るまで、AIが効率的・正確にこなせる時代に突入しています。
そうすると、人間に求められる仕事が激減し、一部の人にとってはやることがほとんどなくなる状況が現実味を帯びてきます。
多くの時間が余るようになると、私たちは改めて
「なぜ生きるのか」
「自分の存在意義とは何か」
といった究極的な問いに対してじっくりと向き合うことになります。
その結果、自分が何者か、その存在意義とは何かという根本的な問いに対して答えを探す時間が増え、かつての哲学が再び大きな注目を集めるようになります。
このように、AI時代とは皮肉にも哲学の再燃期となる可能性が高いのです。
人は仕事に追われている間は衣食住や経済的な問題に集中していますが、生活にある程度余裕ができると必ず心の在り方や生き方、幸福とは何かといった本質的な疑問へ回帰していくからです。
哲学書や哲学を語り合うコミュニティの需要が高まり、人々は再び人生の意味について真剣に考え、哲学によって人生の指針を求めるようになるでしょう。
AI時代の到来で「テキスト」「会話」「思考」さえ残れば人は半永久的に命を保持できるのか?
AI技術が高度に発達した結果、デジタル空間で人間の思考や個性を再現し、そのままデジタル空間で生き続けることが可能になろうとしています。
自分が残した文章や手紙、思考を記録したデータ、会話音声データ、動画や写真など、さまざまなパーソナルデータをAIが学習し、自分の性格や口調、考えを模倣してバーチャルで再現できるようになるからです。
言い換えれば、「あなたらしさ」がデータによって厳密に保存され、AIによって次世代でも半永久的に再生できることで、物理的な肉体がなくなった後でも、意識や記憶、個性を誰かに引き継ぐことができるようになるのです。
人は実質的に永遠の命を得ることが可能となる未来もありえます。
こうした技術が当たり前になる時代には、「死」の意味そのものが変化してくるでしょう。
自分という存在をデジタル空間で半永久的に存続することが現実味を帯びればこそ、どれだけ正確かつ魅力的に自分自身をデータとして残すことができるかが、将来の世代にとっても重大なテーマになっていきます。
AI時代はコミュニティ文化がより強化され、「宗教的な色彩」を帯びてくる。その前兆はオンラインコミュニティにあり
AI技術が発達する中で、個々の人間が直接仕事で存在意義を見出すことが難しくなると、私たちは別の場所に社会的承認や居場所を求めるようになっていきます。
その結果、「コミュニティ」に求められるニーズが急激に高まります。
オンライン上の同じ価値観や思想を持つ、人間同士のつながりを持つことに安心感や生きがいを見出すようになるのです。
すでに一部のオンラインコミュニティでは、
「独自のルール」
「共通の教祖的存在」
「特定の用語やシンボル」
を共有し、まるで宗教団体のような要素を帯び始めています。
価値観が分断され多様化する現代においては、オンライン上に自分の居場所を見つけ、同じ信念を共有する仲間と集まり、その世界観に没入することで精神的な安心感を手に入れるようになります。
AI時代が進めば進むほど、人が現実社会に居場所を持ちにくくなったり、自分の価値を実社会で感じられなくなることがあります。
その代替手段としてオンラインコミュニティへの依存が加速し、それがますます宗教的、精神的な結束を深めるように作用するでしょう。
AI時代の人々は、新たな精神的指標や帰属意識を、こういったデジタル上のコミュニティ形成により得るようになるのです。
AI時代を幸せに明るく生き抜くために必要なのは「やる気・勇気・元気」という人間的要素である
AI時代に最も重要となるのは、実は意外にもシンプルなことではないでしょうか。
スキルを磨き続け、最先端の情報を追いかけることも確かに大切ですが、そればかりを意識しすぎると気持ちが沈んだり、活力を失うことがあります。
AIはこれからますます進歩し、人間以上の知識や能力を発揮することは間違いありません。
その現実を理解して受け入れた上で、毎日を明るく生き生きと過ごすために、何よりも重要なこと。
それは「やる気・勇気・元気」の三つの人間的要素です。
「やる気」とは、自分が好きなことややりたいことに積極的に取り組む姿勢のことです。(当たり前のことだが日々忘れている)
AIの高度な時代には、自分が行動に移そうと思えることがはっきり分かっていることが、最高の資産になります。
自分がやりたいことを見つけ、熱中して取り組める人は、自然とAIと上手に付き合えます。
次に「勇気」です。
AIが発達し、これまでできなかったことが次々と可能になっていきます。
しかし新しいものに対して尻込みしたり、失敗を恐れて動かなかったりすると、その大きなチャンスを逃してしまいます。
未知のことに挑戦する「勇気」、失敗してもリスクを取ってチャレンジする「勇気」こそが、変化の激しいAI時代には不可欠です。
そして何より大切なのは「元気」です。
当たり前すぎると感じるかもしれませんが、健康や心の元気をないがしろにしては、AI社会をうまく生き延びられません。
身体や心が元気でなければ、やる気や勇気も湧きません。
不安やプレッシャーに飲まれるのではなく、自分の体調と心の調子を整え、毎日を楽しむことが最も重要です。
難しく考えすぎる必要はありません。
「自分がやりたいことを存分にやってみよう」
「失敗しても大丈夫、次にまた挑戦しよう」
「身体も気持ちも明るく元気でいよう」
この3つのシンプルな姿勢が、AI時代を幸せかつ明るく生き抜く秘訣なのです。
常に意識したことが現実化するという不思議な脳の仕組み—AI時代こそ心や意識の使い方に注目するべき
人間の脳には不思議な仕組みがあります。それは、「自分が意識したこと、思い描いたイメージや感情が、やがて現実として引き寄せられてしまう」という性質です。
たとえば、「難しそう、できない」とネガティブな思い込みが潜在的にあると、結局行動を起こさず、結果的にそれは実現しません。
逆に「できるかもしれない、自分なら大丈夫」と強く意識できる人は、脳が前向きな目標達成のための情報を集めるようになり、自信を持って行動を起こせるようになります。
AI時代がやってくると、私達にできることの幅は劇的に広がります。
これまで「自分には不可能」と思えていたようなことも、AIの力を借りれば可能になります。
しかし、「難しそう」と最初の一歩を躊躇してしまえば、そのチャンスは失われてしまいます。
「自分でもできる」とポジティブに意識することが、AI時代の恩恵をフルに引き出すための最高の戦略になるのです。
AIがどれほど高度になっても、私たちの心や意識の在り方が現実を創り出すという脳の不思議な仕組みは変わりません。
むしろAI時代だからこそ、自分の心や意識の使い方に注意を払い、ポジティブな現実を意識的に生み出していくことがより大切になってきます。
AIの登場に不安を抱える必要はありません。
その可能性を楽しみながら、「できる自分」を強く思い描き、意識して行動する。
そうすることで、どんどん理想の現実を創り上げていくことができるでしょう。

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